それでもフグが食べたい
10代のころは、
「質」より「量」で、
多く食べられることに喜びを感じていましたが、
だんだんと……
「量」より「質」になってくるものですね。
また、
体は食べ物によってできますから、
ヘルシーかどうか、
添加物は入っていないか?など
最近、特に気になるようになりました。
しかしそれでもやっぱり、
「美味しいもの」には、人間、目がないのでしょうか。
山形で、フグ料理に舌鼓を打っていた男性7名が、
救急車で運ばれ、うち2名が重体と
朝日新聞の記事で読みました。
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----フグ中毒か7人搬送、2人重体 山形・鶴岡----
26日午後10時ごろ、山形県鶴岡市大西町の
鮮魚料理店「きぶんや」で飲食した男性客7人が
手足のしびれを訴え、救急車などで病院に運ばれた。
県警によると、68歳と55歳の男性が重体、
60代の男性5人が軽症。7人は同店でフグ料理を
食べたといい、県警はフグ中毒とみて調べている。
事情聴取に対し、同店の経営者の男性(65)は
「フグの調理免許を持っていない」と話しているという。
中毒になった男性らは、地区の会合を開いていたらしい。
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グルメ番組・雑誌が
相変わらず人気があるのを見ると、
美味しいものが食べたい!飲みたい!という欲は
深いなあと、しみじみ感じます。
そういえば、昔から
人間の願いに五つあるといわれます。
(1)何時も三月花のころ
(2)お前十八、ワシャ二十才
(3)死なぬ子三人みな孝行
(4)使ってへらぬ金百万円
(5)死んでも命のあるように
どんな人にとっても
最も切実な望みは、
「死んでも命のあるように」
長命でありたい……ということでしょう。
美味を堪能しても、
命を落としては、本も子もありません。
しかし恐ろしいのは、
食へのこだわりがあろうがなかろうが、
欲満たしけれないまま、
死んでいかねばならないということです。
「死んでも命のあるように」
その願いを叶えてくださるのは、
お釈迦さまが、「本師本仏」と仰がれる、
無始久遠の、阿弥陀如来の本願力によって、
摂取不捨の利益にあずかるよりほかにないのだと、
親鸞聖人は仰せです。
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